地の住民は現在の南投県の邁西多邦社より移住したと伝えられ ます。日本時代に領袖ワリス・コモに率いられ、白姑大山を越え て移動しました。大甲渓左岸の合流地に集落を築き、ウーライ・ルマと称 しました。その後人口増加により、ハルンに移りました。周辺が 一面「麻黄 ( マオウ )」に覆われていたため、タイヤルの言葉で ハルンと命名したとされます。
部落特色-屋我尾山
「谷関七雄」と称される山群 のうち第三位に位置づけられる 名山です。標高 1,796 メートル で、登り道が続く健脚向きで、 往復に約 8 時間を要します。
部落特色-夜間生態觀察
当地の「狩人」の達人に率いられて ムササビ・キョン・野生のヤギなど哺 乳動物の生態や棲息環境を探訪します。