台中市和平郷南勢村及び自由村一帯の捎来渓河谷の傍には、タイヤル族原住民の祖先が捎来渓河谷の傍に住んでいました。その部落の長の呼び名の音が「捎来shaolai」であったことから、その後次々と掛けられた吊り橋は捎来吊橋と命名されたという言い伝えがあります。